日本は滅びるのか? 5年連続の人口減少に思う

2014/6/25のFNNニュースから。


日本の人口が減り続けております。
報道によりますと(というかその報道も総務省発表の人口動態調査をまんま伝えているだけですが)、

1月1日現在の日本の人口が、1億2843万8348人 前年比約24万人減
昨年の死亡者数は、126万7838人
昨年の出生数は、103万0388人

とのことです。

日々の狭い日常生活に埋没して、日本の人口(ましてや世界の人口)についていちいち意識しないで生活しておりますと(とくに人口が集中する都会暮らしをしていると)見落としがちな事実なのですが、人がたくさんいるということは、それだけで税収や社会保険などの問題を解決してしまう力になりえます。
もちろん限りある資源を奪い合うということで、人がいないほうがよいという場面もあるのですが、国内問題だけで考えますと、このまま人口が減っていってしまったらどうなってしまうんだろうなぁと考えてしまいます。

毎年、おぎゃあおぎゃあと生まれる人の数が、すぅ~っと息を引き取る人の数においつかないのですよ。

すぅ~っと。すぅ~と。すぅ~と。息が引き取られていく。
どんどん人が減っていく。
どんどん人が減っていく。

生まれてくる人の数<死んでいく人の数。

数字だけでかんがえれば、いつか日本は滅びます。

国内人口が少なくなれば、国内にモノやサービスがどれだけ充実していても、国内で買ってくれる人が少ない以上、売上をあげるにも限度がある。
海外向けにモノやサービスをもっともっと売ることができれば、日本人の人口減少を乗り越えて、売り上げをもっともっとあげていくことができる。
国内に外国人がもっともっと増えていけば、国内で買ってくれる人が増えるので、日本人の人口減少を乗り越えて、売り上げを維持していくことができる。

結局、税収や経済、貿易、景気の問題の根本の大問題として人口減少(ひいては各国の人口問題)の問題があって、そこの部分を真正面から議論していかないことには、日本の国内問題は落ちるところまで落ちていくしかないものと思われます。

ところで最近都議会議員のヤジ問題(鈴木章浩都議vs塩村文夏都議)が騒がれております。
これと人口減少の話と何の関係があるのか。

関係ないようであるといいますか、しばしおつきあいを。

今回のヤジ問題については、ヤジ行為ややじの内容をとにかくいけないことだと全否定して、糾弾して、謝罪させてという形にとどまっており残念です(ここに建設的な議論はゼロ)。
鈴木都議の発言が結婚が出来なくて悩んでいる女性に対しての配慮のない発言というような議論もありましたが、塩村都義の過去の発言(Youtubeなどで簡単にみつかります。たくさんの人が紹介しており、私もそれで知った)、経歴、風貌(美人であると、あえてそういわせていただこう)ですので、塩村都議がまるで被害者のように、しかも傷ついた女性を代表して、急にしおらしく正義のカードをとったような対応をし始めたことについて、そのように報道するマスコミの手法については、いろいろ思うことがありました。こちらについては、「被害者でないに被害者であると主張する人々」という本にまとめたいと思います(願望)。

あ、話がそれました。
これに関連して、漫画家の江川達也さんのフェイスブックページをみていたらとても勉強になったのですね。
江川さんは、今回のヤジ問題から、少子化(出生率)の問題、女性の社会進出の問題、エロの問題、議論する知性の問題について刺激的な意見をたくさんされております。すべて本質をついていると思います。ご興味のある方は、ぜひご覧になってみてください。→江川達也さんのフェイスブック個人ページ

で、江川さんに影響を受けての話を続けます。

働く女性が安心して産める社会を!という趣旨の標語を目(耳)にしたことはありませんか。
要は、働く女性がもっと子供を安心して産める社会になれば、女性の社会進出にもつながるし、少子化問題の解決にもつながるというような議論がたまにあるのですが、私はそうではないと思うのですね。

このような議論で想定されている女性というものは、まさに「女性の社会進出」を望む女性像ですので、もちろんそのような女性が目指す、女性の社会進出はもちろん実現されるべき大切な課題であると私も思っておりますが、こういう女性というのは全体の何割ぐらいなんでしょうか。。統計をとりようがないのかもしれませんが、どうなんでしょうほんとのところ。
このような社会の実現がしたからといって、そのような女性たちが出産する子供の数が別に増えることにはならないと思いますし(そもそも働くことが好きなんです)、多少増えたとしても、そのような社会進出を望んでいない、どこかのタイミングで専業主婦になりたいと思っている女性、もしくははなから専業主婦になりたいと思っている女性のほうが、圧倒的多数だとしたらどうでしょう。こういう女性たちが出産する子供の数のほうが増えないことにはどうにもならない問題なのではないかと思っています。
子が欲しい、何人欲しい、というのは妊娠して、出産して、育ててみてはじめて実感してくるものであって(夫婦ともども)、社会環境がこうだから産めない、企業環境がこうだから産めない、といいう環境ありきの問題ではないと思うのですね。
企業環境が整ったから、ああ私はこれで子を産む決断ができるわ、というものではないと思うのです(少なくとも大半の夫婦にとって)。

話が長くなりました。

要は、女性の社会進出と人口減少の解決策とは無関係であり、区別して論じるべきものというのが私の考えです。
身も蓋もない話、女性の社会進出を望む女性にとって、企業環境の整備などよりも、家と子育てはおれにまかせろという専業主「夫」の存在のほうが、安心して産める社会に近いのではないかと思ってしまうのですが、どうなんでしょうか。そんな男性とは結婚したくない、ということになってしまうのでしょうか。
私は、専業主「夫」をもっと社会が寛容に認めていくという流れ(そんな流れはまだないと思いますが)になればいいのにと本気で思っていますが、どうも誰も望んでいないような気がしている。本気でそれを認める女性というのは、かなり少数派のような気がするんだよなぁ。

話がさらに長くなっていますが、お暇な方はさらにおつきあいください。

人口減少の話。
女性の社会進出の話。
ときまして、最後に共働き夫婦の増大についてまで議論をすすめたいと思います。

いまのような人口減少下、共働き夫婦の増大は、限られたどころか縮小していく国内賃金をすべての男女での奪い合いを加速させるだけのような気がします。
それでいいのか?

この問題は、子どもにとっての幸せな環境とはどのようなものか、ということにも関わります。

私は、子育ては、基本的には肉親(主に誰が担うのかというのは各家庭に委ねられるべき。専業主婦か、専業主「夫」か)が行うことが、子供にとっても、社会にとっても、一番安定する形のように思うなぁ。
女性の社会進出という言葉も、女性の社会的地位の向上の場面で使われるのであればよいけれど、共働き推奨の場面でその言葉をつかうのはよくないと思うなあ。
たとえば、夫は工場勤務で期間契約社員で低賃金、妻はスーパーのパート勤務でシフトをもっと減らしてくれといわれて困っている、という共働き夫婦について、もちろんそのような状況で幸せな家族生活を実現することはできると思いますが、やはりそれなりの智慧、忍耐、人格は必要となる話です。このような家庭が、あるべき共働き夫婦、女性の社会進出を実現しているというわけではないと思います。だったら、専業主婦(夫)でいいから、一方が家計を維持できる収入を確保できるほうがよい、という方も多いのではないでしょうか。

子育ては乳児期幼年期から、すでに家庭の手ではなく、社会(公的、私的の各外部サービス)が行うべきものというところまで、社会の共通合意がいきつくのであれば、共働きが基本という社会が理想ということになりますので、私の意見は余計なお世話ということになるのですが、みなさまはどのようにお考えですか。

幸せってなーに?

書き出したらどんどん話がずれていってしまいました。
今日はこのへんで。
(本当は、さらに副業の必要性についてまで話がすすみそうになりましたがいい加減やめにした)

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