セルジオ越後さんと表現の自由

セルジオ越後さんを知っていますか?

日本のサッカー好きならみんな知っていますよね。

いわゆる辛口解説者として知られております。

実は私はセルジオ越後さんの大ファンなのです。

なぜか。

私のなかで、この人は命をかけて言論活動を行なっているなという人が何人かいるのですが、セルジオさんはその中のひとりなのですね。

私が人物評価をする際(←スミマセン。えらそうに)、発言内容もさることながら、その発言をするにあたっての覚悟、裏付けを特にというか最も重視します。

メディアをにぎわす様々な人の発言が、

・その発言で自分が嫌われることになろうが職を追われることになろうがどうだろうがそんなことはおかまいなし。

・無責任な発言、根拠のない発言、思いつきの発言をしていない(一見そのようにみえることがあったとしてもそうではない)。

・誰にも真似できない十分な取材、調査、分析、検討、経験、熟慮検討のあとがみえる。

・抽象的な言葉、あいまいな話、ヒューマニズム風の話に逃げていない。

・具体的指摘、具体的提言にあふれている。

・俺が言わなければ誰もいわないだろう、という覚悟がみえてくる。

という条件をみたすとき、私はその人物の胆力、洞察力、決断力、発言力に畏敬の念をもつものです。

以上の条件は、私利私欲を消し去った発言者に特有の条件かもしれません。

セルジオ越後さんは私がそのような印象をもつ人物のうちのひとりなのですね。

さて、彼の覚悟がすけてみえるセルジオ越後さんのインタビュー記事がありました。

軽妙に語られておりますが、これは誰にでもできることではないと思うのです。

NEWSポストセブン2015/02/02配信記事から。

サッカーアジア杯の準々決勝で敗れた日本代表に対し、Twitterで「不動のメンバーしか起用しないAKBサッカーはもう終わりだよ」とコメントしたサッカー解説者のセルジオ越後さん。こんな辛口批評とは裏腹に、実は穏やかな人柄で知られる。セルジオさんが、日本のサッカーに、あえて苦言を呈するのはどうしてなのか――

* * *
ぼくの解説が“辛口”と呼ばれるなんて、いかに完全なプロスポーツが日本にないかということだよね。プロ選手に対して厳しいのは当たり前。でも日本は企業だけに頼っているから、完全なプロじゃない。アマチュアなんです。イタリアとかブラジルとか、プロスポーツがある国にはぼく以上に辛口のコメンテーターがいますよ。これはやっぱり国のスポーツ文化の大きな違い。

厳しく言うのはもちろん、もっと日本サッカーによくなってほしいから、ぼくのためにも(笑い)。サッカー人気とメディア露出が落ちていけば、スポンサーも撤退する。そうするとぼくらの仕事も少なくなる。これで飯食ってるんだから、もしも単なる批判だったら、結局ぼくが大損するじゃない(笑い)?

それから、日本人同士だとキツいことを言えないんです。 どのスポーツでも仲間意識が強くて、コメンテーターが本職じゃないのね。現場に戻りたい人が一時的にメディアで雨宿りしてるだけ。ジャーナリストやコメンテーターとして飯を食おうって人はほとんどいない。

最終目標が現場だから、後のことを考えると言いたいことも言えないんですよ。就職活動ってゴマをするでしょ。厳しいこと言って仕事がくるはずないもの。

みんなが監督を目指していて、何百人も順番を待っている。なんて効率の悪いことやっているんだろうと思うけど(笑い)。

それぞれの国の文化があると思うけど、ぼくは勝っている国の文化をマネしないとダメだと思うのね。日本はすごく独特だけど、もしそれが正しかったらとっくに世界中がマネしているの。学ぶところは学ばないと、いつまでたっても勝てないよ。

解説をするときに資料が出るんだけど、ぼくは実況者には資料が必要だけど、解説者には要らないと思っている。何が起きるかわからないから、起きたものを自分なりに伝えるっていうのが仕事。

解説者は放送席の監督なの。ベンチに座って、ほめるだけ、騒ぐだけでは勝てないよ。サポーターだったら問題ないけどね。

もちろん、キャラクターとしたらおもしろいよね。でも楽しいのと厳しいのは、やっぱり分けなくちゃいけない。もし、そのままベンチに座ってチームを指揮していたら、采配はふるえないからね。

※女性セブン2015年2月12日号

あえて全文引用させていただきました。

黄色塗りは私の修飾です。

わかりますでしょうか。彼の覚悟。彼の心意気というものが。

わかりますでしょうか。メディアにでてくる大半の人の発言が今ひとつ物足りないように感じる理由めいたものが。

「仲間意識が強い」「コメンテーターが本職じゃない」「現場に戻りたい」「一時的にメディアで雨宿り」「後のことを考えると言いたいことも言えない」人が多数派のなか、「厳しいことを言って仕事がくるはずない」とわかっていながら、あえて一解説者、一コメンテーターに徹して厳しいことを言い続ける彼の覚悟は本物です。

昨日今日の話ではなく、セルジオさんは、何十年もこれを続けているのです。

サッカー業界は、球団・監督、コーチ、選手・ジャーナリズムで構成されているとします。

いずれ、現場(球団・監督、コーチ、選手)に再就職したい人が、

現場の悪口(本当は悪口ではなく真摯な提言であっても)、

現場にとって耳障りのよくない発言を控えようとしてしまう心情はわかりますよね。

どうしてもそうなる。

人は弱い。

セルジオさんは代表選手との軋轢も随分あったとききます。

それでも自分の言論を貫き通す意地、それでもメディアに起用される続ける実力。

発言内容の好き嫌いで人物評価をするのではなくて、

こういう人物がいかに稀有なのか、いかにその発言に耳を傾けなければならないのか、

それを正しく理解できる自分でありたいものです。

自己保身のない発言ができる人は本当に稀少です。

こういう人物こそ、あらゆる分野で大切にしなければなりません。

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