不倫略奪愛を祝福できますか?(頭の体操)

不倫略奪愛について考える

今日は不倫略奪愛について考えてみたいと思います。

不倫略奪愛|誰が悪いのか?

既婚男性が不倫の末、妻と離婚し、不倫相手と再婚しました。
ところが数年後、この男性はさらに別の女性と不倫し、二番目の妻とも離婚して、その不倫相手と三度目の結婚をしました。
この場合、誰が悪いのでしょうか。

この男ですか?

最初の妻からしたら、二番目の妻は自分から夫を奪った女。
二番目の妻からしたら、三番目の妻は自分から夫を奪った女。
夫が女を渡り歩いたのはそれを許した女がいたからというのも否定出来ない事実。
この因果の流れの中で男だけが悪いといいきれるかどうか。
女もそれぞれに悪いともいえる(その時点の妻からみれば)。

不倫略奪愛|素直に祝福できますか?

不倫の末の成就でも、やはり誰かには祝福してもらいたい。
友人から総スカン、家族から総スカン、世間からも総スカンのままでは辛すぎる。
そうであれば、やはり誰かが祝福してあげるべきではないか。
この場面で、夫が悪い、不倫女性が悪いと言っていても仕方がない。
夫の再再婚であっても(とくに再再婚の相手女性に対しては)祝福してあげる気持ちを誰かがもってあげなければいけない。
※以上は、個別の具体的事情を捨象した頭の体操です※
※私と考えがチガウわ!っと、カァ~となったアナタ様。きっと潔癖な方です※

不倫略奪愛|誰が被害者なのか?

では、しいて被害者は誰なのかとかんがえると、誰でしょうか。
最初の妻が被害者でしょうか。
しかし、二番目の妻も、三番目の妻との関係では被害者です。
第四の女性がでてきた場合は、三番目の妻もその被害者ということになる。

どの女性も個別には可哀想(最後には男に裏切られたという意味で)という気はしますが、
それを被害者と言い切ってしまっていいものか。

むしろこんなアホな男ととさっさと別れられてよかったという面もあるのではないか。
見る目がなかったことも含めて自業自得と見れば(超厳しいですね)、
不倫されて離婚という結末も、決して悲劇などではなく、
早めに方向転換ができてよかったね、おめでとう、
とむしろ祝福してあげてもいいぐらいな気もする。
そう考えると、被害者はいないことになる。
※しつこいですが、以上は、個別事情を捨象した頭の体操のお話です※

不倫略奪愛|理性があれば防げるものか

男さえしっかり理性をもっていれば不倫は起きないという考えれば、そうなるような気がします。
では、女さえしっかり理性をもっていれば不倫を拒絶することができたはずという考えをした場合はどうでしょうか。
そう考えると不倫相手の女性も男もどっちもどっちのような気がします。
そもそも、自分だけは絶対不倫することはないっ!!と断言できるほどの理性をもっている人ってこの世にいるのだろうか。
地位、名誉など守るものがあれば、不倫が発覚したときのマイナスの大きさ故に、不倫を踏みとどまるということはあるでしょう。
でもそれって理性といえるのか。当たり前のような気もします。
なんの出会いもない生活を送っていたり、そもそも性欲がまるでなかったりする人もいるでしょう。
これも理性があるというのとは違いますよね。
どれだけ魅力的な相手が現れても、純粋にどんなときでも妻(夫)、子どもの顔が思い浮かび、不倫などもってのほかと心の底から思える人(既婚者の場合)。
どれだけ相手が魅力的でも、その人が既婚者である以上は、関係はもつことはありえないと心の底から思える人(独身者の場合)。
瞬間的にはそのように思えても、ある程度の継続的な関係(人間関係)、ある程度の継続的なアプローチをされたとき、それでも絶対100%その誘惑に負けることはないと断言できる人。
いるのかなぁ。
(※法律事務所にはその誘惑に敗れた方が相談にみられますので、私のものの見方に多少の偏りがあることをご了承ください)

不倫略奪愛|青島弁護士のスタンス

長くなりました。
私が大切だと思うのはですね、
・立場をずらして考える→いい悪いの判断がかわってくる。
・価値観をずらして考える→離婚が不幸とは限らない。わるい人間と離婚できたのであればかえってよかったという考え方もある。
・加害者・被害者の二元論で人を見ない。
ということです。

不倫はよくない的な固定的なものの味方は、不倫に悩む当事者に対する過剰な攻撃をするばかりで、何の解決にもならないと思います。
離婚はよくない的な固定的なものの見方は、離婚で悩んでいる人や離婚経験者に対する偏見、差別を助長するだけだと思います。
もちろん子の福祉という視点も忘れてはなりませんが、自分の狭い道徳判断で人を裁くようなことはあってはならないと思っています。

しつこいですが、以上は、個別の具体的事情を捨象した頭の体操です。
私も、個別事情によっては、この夫(あるいは妻)は悪い人だわ~と思うことがないことはないですが、
やたらめったら正義感やら義憤に駆られて、
この不倫夫(妻)に苦しむ妻(夫)を助けなければっ!
ですとか、
この不倫夫と不倫女にお仕置きを加えねばっ!
ということにはならないのですね。

これは、
この不倫をしてしまった夫(あるいは妻)にも同情すべき事情があるかもしれない、
この不倫をしてしまった独身女性(あるいは独身男性)にも同情すべき事情があるかもしれない、
という保留的な発想をするかどうかで結論が違ってくる話かもしれません。

妻が家事も育児も性格もすべて完璧なのに、こんないい妻がいるのに不倫に及ぶなどふざけた夫だ!夫が100%悪い!というのはシンプルでわかりやすい話ではあるのですが、現実は理想とは違う。

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