京都市伏見区の民営認可保育園「春日野園」で起こった5歳男児頭蓋骨骨折事件に思う

2014/06/29京都新聞配信のヤフーニュースから。
京都市伏見区の民営認可保育園「春日野園」で今月13日、体操教室の時間中に5歳の男児が頭を打ち、頭蓋骨を折る重傷を負っていたそうです。
報道によりますと、

事故が起きたのは13日午前10時~10時40分。
男児の担任が別の用事があったため、用務員の女性職員と外注業者の体育専門員がホール内で園児が跳び箱をするのをみていた。
跳び箱の待ち時間が長くなり、男児を含む複数の園児が棚に入った。
これに気付いた女性職員は棚に入って寝転んでいた園児たちを棚から園庭に放り出した。男児を放り出した時、「ガチャン」という音がして、男児が泣いていた、という。
午前11時50分ごろ、男児がぐったりして倒れているのを保育士が発見した。
氷で冷やすなどの処置を取ったが、頭を触ると「痛い」と言ったため午後1時20分ごろ、市内の病院に運んだ。
男児は頭蓋骨の陥没骨折との診断を受け、10日後に手術を受けた。
市保育課は、女性職員が園児たちを棚から投げ出した行為について園児に聞き取りを進めている。

とのことです。

恐ろしい事件です。
保育園や幼稚園の施設内に限らず、そもそも子どもが大人のいうことをきかない、というのはある意味デフォルトというか、そういうものであるという基本的認識を常に確認しておかないといけないと思います。
いくらかわいい我が子でも、あまりにいうことを聞かなくて、虐待とまではいかなくても、子ども相手に感情的になりすぎて、きつい言動をしてしまい、後で反省するといったことは、子育てをしていく過程で親であれば誰しも経験することだと思います。
他人の子を預かる保育園や幼稚園での、保育士、幼稚園教諭も、いうことをきかない子どもに手を焼き、きつい言動をしてしまうということも十分ありうることでしょう。
この事件の加害者と目されている人物は、保育士資格をもたない者だったようですが、資格の有無がこの事件の本質ではないと思います。

感情を完璧に制御することは凡人にはできないことです。
もちろん私も凡人です。
日々、思うにならない出来事に遭遇する中で、それこそ言葉にならない思いをかかえ、この気持をどうやって落ち着かせようか。。などと悩み、苦しむこともあります。
皆、そうだと思うのです。

保育園や幼稚園の場合は、一旦落ち着いて考えて。。という状況ではなく、いろいろ指示をしたり、限られた時間のなかでなにかをやらせようとするなかで、子どもがいうことをきかないと、担当者の感情が突発的に怒りの感情にシフトしてしまうということは常にありえるものと思います。

いやいや、職業的訓練と勉強、研修の積み重ねで感情のコントロールはできるようになるものです。
という意見もあるかもしれません。

しかし、どれだけの修練を積んでいても、人間は弱い生き物です。
感情を完璧に制御することはやはりできないのではないでしょうか。
その日の体調、プライベートの満足度そのほか諸々のイライラが募って、子どもに対して、いつもはできていたはずの感情の制御ができなくなる。
そういう事態は、誰しもありうると思うのです。

もちろん、虐待的行動をとることがほぼありえないぐらいに感情のコントロールが出来る人と、いつ虐待的行動をとってもおかしくないほどに感情のコントロールがほぼできない人と、人の性格、人格の差によって、事件が起こる可能性は異なります。

ただ、誰であっても、突発的に感情の制御ができずに、暴力的言動にでてしまうおそれ、可能性はあるものだということを出発点(デフォルトの認識)にしていかないと、この種の事件はなかなかなくならないのではないかと思っています。

うちは大丈夫、ではなくて、うちも起こりうる、ということを常に認識しておくこと。
家庭であれば、どうも危うい親であれば、両親以外の他人(近所の人でも、親族でも、だれでも)はよくよく目をかけてあげる必要がありますし、園内であれば、従業員教育の際、完璧な感情のコントロールが可能であることを前提に、虐待事件を起こさないようになどという注意喚起、研修などで万全のつもりになるのではなく、互いにいつそのようなことを起こしてしまうとも限らないということを従業員全員が共通認識として、互いに助けあう、互いにお願いしあう、体調や感情に難がある日は、最悪欠勤も許されるぐらいが理想です。

もちろん現実的には、感情制御がうまくできないから今日は休ませてもらう、などということを認めてくれるようなことはあり得ないかもしれません。
補助金頼みの園の運営で、人件費も潤沢でなく、従業員も少ない人員で本当に大変な思いをして運営をしております。
従業員同士も、自分の持ち場を超えて、互いにフォローしあうほどの余裕がないものと思われます。

うーん。どうしたらよいものか。
そのような状況下、またこのような事件が起きてしまいました。
なんとかこの種の虐待事件が起こる可能性を極限まで減らしていくことはできないものだろうか。

私は、ひとつの解として、子どもにも、保育者(保育士、幼稚園教諭、そのほか従業員)にも、完璧を求めないということがあると思います。
例えば、子どもが言うことを聞かなくても、とくに問題としない。
そうなれば、保育者も無理やり子どもにいうことをきかせようという動機、強迫観念から自由になれます。
例えば、大人が感情的になりうる存在であることを正面から認めること。
そうなれば、保育者が完璧な先生であろうとするあまり、思うにならない現実(言うことを聞かない子ども)に対して感情を一気に怒らせる可能性を減らすことができます。
大人も感情的になってしまう可能性はあるものだよね、でも最悪の事態(本件のような虐待行為に及ぶこと)だけは避けるようにしましょうね、というハードルを下げた共通認識も、現実的処方箋としては意味があるものだと思います。
いかがでしょうか。

ただ保育施設や介護施設でのこの種の弱者(要介護者、子ども)への加害事件の根底には、施設運営の財政難、人材不足の問題があるため、根が深いですね。
そもそも他の従業員を助けあうどころか、自分の持ち場の業務をこなすだけで精一杯。
みな、気持ちの余裕がなくなりがちな環境なのですよね。
本当に難しい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です