長崎佐世保16歳高1女子同級生殺害事件で気になること

2014/07/28のFNNニュースから。


高1女子生徒が同級生を絞殺?(後頭部の殴られた傷は致命傷ではなく、死因は窒息死とのこと)し、首と左手首を切断してしまったという事件です。

私が気になっているのは、次の事情です。

(1)昨秋、加害者女子の母が亡くなっていること。
(2)その後、加害女子の父が再婚していること。
(3)加害者女子は、今年の4月からマンションで一人暮らしを始めていたこと。
(4)加害者女子は海外留学予定で、高校にはあまり登校していなかったこと。
(5)小学生時代に、父と実母の影響でスポーツに打ち込み、好成績を残していること。
(6)小学校の給食に異物を混ぜる問題行動を起こしたことがあること。

この加害者女子は、親(特に父親)から厄介者扱いをされていなかったものか。
どうも気になるのです。

父親としては、高校1年生の娘が成人するまで再婚を控えるという選択肢もあったはずです。
ところが、妻の病死から1年もまたずに、父親は再婚している。

母親が亡くなったからといって、高校1年生の娘をひとり暮らしさせる理由はないはずです。
それが一人暮らしをさせられている。

高校生から海外留学すること自体は、特別視する時代ではなくなってきているとは思います。
しかし、実際にはまだ少数派です。
海外留学自体、加害者女子が望んだものだったのか。
それに先立って、一人暮らしをする必要がどこにあったのか。

我が子が犯罪の加害者になる可能性から目を背けてはいけません。
もちろん、我が子が殺人を犯すことまで想定していろというのは酷だとは思います。
とくに高校生の娘が単独でそのような犯行をするということまで想定することは、どんな親であってもなかなか難しいことではあります。
なので、この加害者の父親に、娘の殺人行為についてまで防げたはずだと強く糾弾するつもりはありません。

それでも、私はこの父親に正直に話していただきたいと思うことがあります(別に手記という形でもいいのです)。

娘を厄介者にしていなかったものかどうか。
娘の問題行動の萌芽、中学校時代から高校入学にかけての娘との関係、自分の再婚と娘のひとり暮らし、海外留学を決めた経過はどのようなものだったものか。

厄介者扱いをされて育った子どもは、人の愛情を信じられないというか、愛情をかけられることを知らないというか、生命に対する感覚が鈍いというか、人の気持ちや感情に対しても鈍感というか、分かっていても平気で無視できるというか、要は、何をしでかすかわからないというか、何を考えているかわからないというか、そういう底知れぬ闇をかかえてしまう気がしています。

そういう闇があるから厄介者扱いされてしまうのか、厄介者扱いされるうちにそうなってしまうのか。
明確な先後関係を決めることは難しいですが、両方あるのだろうと思います(相互に作用して、悪循環にはまっていくというか)。

この加害者女子の処遇はまだ未定です。
成人と同様の刑事裁判にかけられても、死刑にならなければ、いずれ社会にでてくるでしょう。
医療少年院に送致されることになったとしても、同様です。
ここまで簡単に人を殺してしまえる心は、矯正できるようなものなのかどうか。
私はまだ答えをみつけておりません。。

ただ少なくとも、人を殺してみたかった(と供述しているらしい)加害者女子の生育歴、心の歪みについては、広く社会で共有しておくべき事実ではないかと思う次第です。

我が子を加害者にしないために。
我が子を被害者にしないために。

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