岐阜県各務原市木曽川で小中学生3人の水難事故に思う

昨日のFNNニュースから。
報道によりますと《平成26年6月9日、岐阜県各務原(かかみがはら)市の木曽川で、小中学生3人が流された事故で、3­人の遺体が発見された》そうです。
3人は上半身裸の海水パンツ姿で発見されたそうですが(死因は溺死)、状況が思い浮かぶだけに本当にせつないです。
亡くなった子どもたちのご冥福をお祈りいたします。

では、このような事故が起こることを防ぐ手段はあるのでしょうか。

もう9歳や12歳にもなれば、親の世界とは別の子どもたちの世界というものが完全に存在しています。
親の目の届かないところで遊ぶスリル、ドキドキ感、親に頼らず自分たちの力で困難を乗り越えていく醍醐味、決して大人が立ち入れない、映画スタンド・バイ・ミー的な世界がそこにあります。

親の介入というものは、そのようなドラマの存在自体を許さないというか、ぶちこわすというかそういう側面がある。
水難事故を絶対回避しようと思えば、そもそも川に行くな、海へ行くな、ということになりますが、子どもからしたら非常にしらけるというか迷惑な介入となる。
かといって、海に行っていい、川に行っていい、でも誰かの親が必ず付き添うようにする、という方法でも、子どもからしたら邪魔に感じる部分は絶対にある。

どうしたらいいのでしょうか。

親の目から解き放たれた(親の目の届かない)世界を子供同士が共有することは、子の成長にとって絶対不可欠です。
子供同士の川遊びなどは、そのような世界を共有する絶好な機会であったりします。

さきほどのニュースの場合、
親御さんが、子どもたちに川遊びを禁じていればよかったというものなのでしょうか。
綺麗事を言えばそうなのかもしれません。生命が大事である以上、危険な遊びは絶対に禁止しておくべきであったと。

しかし私はそうではないと思います。
どれだけ禁じていても、遊びたい子ども遊びます。禁じていれば大丈夫というものではないのです。

では親として、川遊びに付き添っていればよかったのでしょうか。
これも違うと思います。親が付き添うつもりでも、そんなことを告げずに川遊びに行かれてしまったら防ぎようがないのですから。

子どもの冒険と親の介入の問題については私も絶対的な回答はまだありません。

ただ、少なくとも、川で遊ぶということの意味、川で溺れるということの怖さについては、事前に教えこんでおくということだけはしたいと思っています。
つまり、親としてなるべくたくさん子どもと一緒にプールや川で遊んでおくこと、その遊びを通じて、溺れることの可能性、溺れたときのパニック、人は簡単に死ぬことについて滔々と行って聞かせておきたいと思っています。

ここで私の溺れ体験を。

私は中学生のころ、川遊びが大好きでした(って今ふと思いましたが、中学生で川遊びが大好きってかなり素朴ですね)。
中洲の小さな森のようなところの木の上から、川の深くなっているところに飛び込んで遊ぶのがとても楽しかったのです。
何度も何度も登っては飛び降りるをくりかえしておりました。ジャッポーンと。

台風で増水した後でも、どうしても川遊びがしたくて川に行ったことも何度かありました。
中学校2年の夏休み明け、もう夏休みが終わったのに夏休み気分が抜けなかったのか、9月の何日だったか忘れてしまいましたが、その日も剣道部の友人2人と、台風で増水した川に遊びに行ったときのことです(そんなときに行くなよと今なら思う。しかしそのときは川で遊びたい一心。ほんと素朴というかばかというか)。
流れが強く、水は濁り、目的地にたどり着くだけで一苦労でした(だから、そんなときに行くからだって)。
ひとしきり遊んだ後、また、激しい水流の川をよれよれしながら歩いて、もとの岸辺に向かいました。
その途中です。
私のはいていたゴム草履が片方ぬげて、下流に流されたのです。
あきらめればよいものを私はあわててそれをとりにいこうとしたその瞬間、私の体ごと川の流れにもっていかれ、一気に足の届かない深さの激流にまきこまれました。
あのときのパニックは一生忘れません。
川の流れが激しいと、水の上に顔や体がみえる状態で流されるわけではないのですね。
一気に川底にむかって、体ごと持って行かれました。
泥水の激流の中に、体ごと沈めこまれていったのです、
下流方向に流されながら、体は完全に水底のほうにひっぱられる、という状況になるのです。
まじで死ぬかと思いました。
溺れるってこういうことをいうのだなと思いました。
幸い、川にあるテトラポットのようなもの(うまく描写できずスミマセン)に、水中で激突し、それに何度か激突するなかで、
流されるスピードが落ちて、最終的には岸辺まで辿り着くことが出来ました。
友人たちは助けるどころではなく、なんとか浮上してきたものの、しばらく流され続ける私を、岸辺から走っておいかけている状況でした。
今もはっきり覚えています。彼らの不安そうな顔を。私はもっと情けない顔をしていたことでしょう。
結局、岸についたときには両足のゴムぞうり、シュノーケル、ゴーグル(競泳用ではなくて、両目と鼻を一緒に覆ってしまうやつ)をすべて失い、体中擦り傷だらけという有様でした。帰り道、地上で生暖かい風を感じながら夕焼け空のもと自転車をこいでいたときの安堵感。一生忘れません。帰宅したら母が鳥飯をつくっていたことまで覚えている。。

話が長くなりました。
私にとって、以上の体験は忘れがたい、得難い体験で、今となってはいい思い出ではあるのですが、
それで我が子が生命を落としたらやはり親としては悲しすぎる。

子どもをどこまで縛れるものか。
本当に悩ましい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です